皆さんこんにちは! 読書大好きぴっぴです🐣
記念すべき第一回読書レポート課題図書は
「チャイルドヘルプと歩んで~虐待児童を救い続けるアメリカ最大の民間組織に日本が学べること~」
書籍情報はこちらから。
この本を選んだ理由
まず表紙が素敵! と思い手に取りました。
あと、新刊のコーナーに置いてあったのも手に取った理由の一つです。新しいものって、なんかいいですよね。
でも一番は、この文に惹かれました。
誰でもひとつやふたつ、覚えているだろう。近年起こった児童虐待事件の悲惨な結末を。
どうすれば日本は子供が死なない社会をつくれるだろう。
児童相談所や学校、警察などの専門家に任せるしかないのか。
「子供が死なない社会」
起こってしまっている現実は、専門家に任せることしか出来ていないから起こっているのではないか。
虐待に関する知識は何も持ちあわせていないので、私の考えをツラツラと並べるだけのレポートになってしまいますが、どうぞお付き合いください。
※書籍のネタバレが含まれています。ご注意ください!!!
各章を読んで
序章 フォレンジック・インタビュー
「フォレンジック・インタビュー」、皆さんはご存知でしたか?
フォレンジック・インタビューは、「記憶の汚染」によって失われる、被虐待児童の証言を法的効力を確保するためのものです。
「記憶の汚染」とは、何度も事情を聴かれるうちに、大人の誘導的な質問などにより児童の記憶が汚染されてしまうことです。
虐待から保護された児童は、例えば警察官、医師、福祉職員など多くの人に話しかけられます。
そのうちに記憶が汚染され、誤った情報を口にしてしまう……そのため、児童の証言は法的効力が薄いとされてきていました。
その現状を打破するのが「フォレンジック・インタビュー」。
フォレンジックインタビューでは、「全部話してみて」「最初から教えて」などのように、児童に考えさせながら発言を促します。
実際にフォレンジック・インタビューを受けた筆者の体験談が第一章には描かれていますが、読んでいてすごく辛かったです。
幼い子供に、自分がどのような扱いを受けていたのかを事細かに聞くこの手法は、インタビュアーの心をも蝕むのではないかと強く感じました。
第一章 アドヴォカシー
第二章を読んで思ったことは大きく二つあります。
一つ目は、アメリカと日本の寄付の習慣・考え方の違いについてです。
アメリカでは寄付の習慣が根付いていて、様々な児童施設にたくさんの新品のおもちゃが届くそうです。
対して日本には、あまり寄付の習慣は根付いていないような気がします。また、おもちゃの寄付があっても「中古」のものも多いのが、私が感じているところです。
「ずっと抑圧の中で耐えてきた子供たちだからこそ、自由に選ぶという経験をしてほしいのです。」
この考え方を私自身したことが無いかもしれない。ハッとさせられました。
二つ目は、被虐待児の将来に対する考え方の違いについてです。
私がテレビ番組などで虐待について目にする時、日本では既に亡くなっている場合が多いことも影響されているのかもしれませんが、その子供の”将来”についての対策がどのように行われていてそれが十分なのかが分からないです。
対してアメリカでは、フォレンジック・インタビューを筆頭に被虐待児にとってこれ以上のトラウマにならないような体制が引かれていることが、この本からわかります。
私が知らないだけで、日本でも十分な対策は取られているのかもしれない。
もっと日本がどう対応しているのか、知りたいなと強く思いました。
第二章 ホットライン
この章では、チャイルドヘルプが設置した「児童虐待専門のホットライン」について書かれています。
ホットラインはどの国からも無料で掛けることができ、一日に約250件の電話相談に応じているそうです。
この章で心に響いた言葉を紹介させてください。
「普通の人々は、通報する勇気を持ち合わせていないものなのです。」「電話の多くは目撃者からで、自分の目にしていることが本当に虐待にあたるのかどうかを尋ねてきます。本当に通報するべきかどうか確認したいのね。自分の正義にも支えが欲しいのです。」
でも、通報する人がいないと児童虐待の問題は解決されない……。
政府の機関ではない団体への電話なら、少しハードルは下がりますよね。
このホットラインが存在することで、今まで見て見ぬふりをしていた人も「これが虐待なのか」と相談することができ、結果的に早いうちに子供を助けることができるかもしれない。
例えば私も大学に直接連絡を入れるのは怖いけれど、例えば先輩に聞くのは怖くないです。これと同じような感覚なのかなと感じました。
「メディアは、ホリデーシーズンに幸せな団結した家族像をしきりに流す。でもその陰で、悩み苦しむ人が多くいて、この時期には特に圧倒される。そういったメディアの商業的宣伝が、彼らのトラウマの引き金になってしまったとき、このホットラインがあるのは、とても素晴らしい。」
これは、クリスマスの夜にホットラインに対応した職員の言葉です。
ホットラインの存在の素晴らしさもそうですが、私は大学でメディアについて勉強しているので、刺さりました!
「人々は、メディアによって世界を認識している。」
だからこそ、メディアももっと人々に寄り添えていけたら良いのになと漠然と思いました。
大人に配る用のリーフレットに書かれている文は、今のメディアより人々に寄り添っているのではないでしょうか。
「完璧じゃなくてもいいんです。だから、私たちがいるのです。ホットラインに相談してください。」
第三章 サラとイヴォンヌ
この章では、チャイルドヘルプの創設者である二人について書かれています。
この章を読んだ感想としては、アメリカも日本と大きく異なった国ではない、ということと、自分の感覚を大事にするべきだということです。
この二人がチャイルドヘルプを創設することとなったきっかけは、戦後の日本で直面した、孤児たちの厳しい現実だったそうです。
「日本は文化的にとても素晴らしい国だったわ。でも、偏見や差別がとてもひどかったの……。」
戦後、親を失って孤児になる人が多かったのはもちろん知っていましたが、私はこの本を読んで初めて「混血児」の存在を知りました。
私たちが抱えている様々な問題は、実は地続きなのかもしれない……。強くそう思いました。
自分の感覚を大事にするべき、というのは、「おかしい!」と思ったら周りの「当たり前」に流されずに問題意識を持ち続け、行動するべきではないか、ということです。
この二人はアメリカに戻った後も、日本の施設に寄付金を送ったりしていたそうです。
活動をしていく中で二人が感じたのは「本当の問題は、人々の意識の低さだ。」ということです。
事実、当時のアメリカの法律は「子供を守る」ためのものではなく、「虐待者である親」を守るようなものだったそうです。
まずは多くの人が知らないと問題は表面化しないし、その問題について真剣に考える人が増えないと解決することは絶対無いのではないでしょうか……。
子供は血の繋がった両親のもとで育てられるのが一番の幸せ。
当時はきっと、そんな考えが「当たり前」だったのかもしれない。
行動に移せてもその後複雑に入り組み合う問題を解決するためにはかなりの体力・気力を要するものだと知っているからこそ、現在も戦い続けている二人を尊敬します。
虐待が負の連鎖なら、優しさや愛情は正の連鎖を起こすのだろうか。
第四章 堀内キン
この章では、日本で早い段階から「児童救済」を目指して奮闘した人々の話が書かれています。
今まで戦後の日本は、GHQの政策でしか児童に対する取り組みは行われていないのではないかと思っていたので、「現状を変えたい」と思うばかりではなく、行動をしていた日本人がこんなにいたのか、と驚きました。
この章で紹介されている人は全員女性だったのが印象的です。
この時代には女性が家庭の外に出ること自体良しとされていなかったはずなのに、孤児・混血児を助けることは、更に世間からの批判が大きかったはずなのに……。
私たちは、苦しむ子供たちを放っておかなかった。仕方がないとは決して言わなかった。そして行動した。
今の世の中は、「仕方がない」で済まされることが多くあるような気がします。
時代は進んでいるはずなのに、人間の豊かさのようなものが失われてきているような気がしてなりません。
彼女たちの足跡は、児童福祉に対して非常に意識の高い人間が、その時代と社会に向けて限りない努力を傾けた結果ともいえる。突出した個人の、突出した貢献によって多くの孤児が救われた。
文字にすると簡単なことに見えてしまうからこそ、実際に施設に足を運んでみたくなりました。
戦後、「生と死」をリアルに実感できた時代だからこそできたこともあるのかもしれないけれど、じゃあ今の私たちができることは何なのでしょうか?
第五章 マーヴ・グリフィン・ヴィレッジ
虐待を受けていた子供は、心に大きな傷を抱えている。近年の科学で証明されたことは、その子供たちの脳の状態は、戦場における極限状態を経験し、PTSDを発症した兵士とまったく同じだということである。
チャイルドヘルプが非虐待児童を保護し、将来を見据えた上で子供たちを支援しようと奮闘したからこそ、今の心理学が成り立っているのだと感じました。
そもそも、「心を救う」必要があると感じたのは、それだけ非虐待児童に向き合ってきた証なのだとも思います。
いわゆる「弱者」を救うためには法整備も重要ですが、人と人との関わりもとても大事なのだと実感します。
「いずれこの子たちが出ていく社会が、いいところであるよう心から願っています。」
私の信念の一つです。
私は将来、今の子どもたちが失望しないような、「早く大人になりたいな」と前向きに言ってくれるような社会を作りたいと思っています。
でも、その社会ってどんな社会なんだろう?
今まで私が見ていた「いまの子ども」は、育ててくれている家族がいる人に限定していたのかもしれないと気づきました。
また、私は「アメリカは日本よりも進んでいる国」という意識をずっと持ってきましたが、この章を読んでいて決してそうではないことに気づきました。
例えば養子縁組をする時。
ガチガチに法や制度で固められて、養子縁組をすること自体が難しい分、養子となる子供が少ない日本
法や制度は緩いから誰でも養子縁組をすることができる代わりに、すぐに施設に戻される子供も多いアメリカ
どちらの方が良いのでしょうか。一番いいのはこの二つの折衷案なのかな?
非虐待児童にとって一番良い環境はどのようなものなのでしょうか。
第六章 児童安全局
「この面談のテーブルには複雑にもつれた親子のケースがたくさん運ばれてくる。私たちの行っているのは、そういうケースを一つひとつ修復し、新たな関係がつくり上げられるよう、その親子にとっての『最善』を探す仕事です。」
これは、アメリカの児童保安局の「相談員」の言葉です。
子供は実の親と暮らすことが、必ずしも「幸せ」ではないけれど、非虐待児童だからといって永遠に離れて暮らすことが最善ではないかもしれない。
それこそ私たちの持つ偏見なのではないかと思いました。
どんなにボロボロの親であれ、我が子を虐待する原因となった問題を、周りの社会がさまざまに支えて解決に導き、親子関係の修復と家族の再建を目指す。
ここで言う「親子関係の修復」は、必ずしも親子として一緒に歩いていく、という意味ではないと思うし、「家族の再建」は、信頼を取り戻して普通の家族のように歩んでいこう、という意味でもないと思います。
言語化が難しいけれど、正解は決まっていないし、そもそも正解に辿り着くことすらまだできない。
そのくらい複雑な問題なのだろうとも思います。
虐待をする親は自分も虐待を受けていたことがあったり、暴力ではなく精神的虐待を受けていたりすることも多いそうです。
負の連鎖を断ち切るって、かなり難しい。
まあた、日本では支援制度が充実していないから、ネガティブな感情を持ち続けている人はいつまでも歩きなおすことができないのかもしれない……。
第七章 虐待予備教育
「どんなにひどいことをする親でも、子どもにはその親しかいないのです。必死に愛してもらおうとします。愛してもらえないのは自分のせいだと思い、自分を責め続けるのです。」
何が虐待なのか、子供にはわからない。誰も教えてくれなかった。でも、教えてほしかった。
私たちは生まれてから保育園や幼稚園に行くまでを「家庭」という密室で過ごします。
また、保育園や幼稚園に通うにも親の助けが無ければいけない。
世界のすべてが親になるこの時期に暴力を振るわれてもそれが「異常」なことだとは気が付けないのです。
小学生の頃から、毎年「防犯教室」のようなものが開かれていませんでしたか?
「もう聞き飽きた!」「そんなこと分かってるのに。」
ずっと私はそう思っていましたが、それを小さなころから知っていくことに意味があり、正しい知識を持ったうえで生活することがいかに重要かを痛感しました。
また、「誰が信頼できる大人か知ること」という部分を読んで、私が信頼している大人は誰だろう?と考えました。
両親。高校時代の担任の先生。今のところ私が信頼している先生はこれだけしかいないかもしれません。
警察になんでも相談をできるか、頼れるか、というと私はできません。
信頼できる大人が誰かを知ることと同時に、信頼してもらえるような大人を増やすことも重要なのではないでしょうか。
最後に
終章で心に残っている言葉が二つあります。
時々、強硬手段に出る警察や検察に対して「やりすぎだ」という批判もある
当時は「子供は親の所有物」という考え方が人々には一般的で、親が子供に暴力を振るっても、それは「虐待ではなく躾だ」というような認識が当たり前だった。
この本を読み終えて思うのは、日本では「やりすぎ」というくらい行動しないと救えるものも救えないのではないか、ということです。
また、メディアを学んでいる身からは、これからどのような情報発信をしていくのが良いのか、と終始考えさせられました。
虐待を無くすことは不可能なのでしょうか?そもそも、何故虐待は生まれたのでしょうか?
それこそ、「虐待」と「躾」の明確な差は何なのでしょうか?
私は小学生の頃、「”It”と呼ばれた子」という本を読みました。
おそらくそれが、「虐待」について初めて理解した瞬間でした。
それまで虐待を知る機会すらなかったのだと、今振り返ると思います。
日本が虐待児童を救うための課題はたくさんあると思いますが、一番に取り組むべきなのは「虐待についてもっと知ってもらうこと」なのかもしれません。
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