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体験レポート

《後編》アートを通して人と人が出会う、混ざる、関係を超えて共創する。【パフォーマンスキッズ・トーキョー】

パフォーマンスキッズ・トーキョー(以下、PKT)は、ダンスや演劇、音楽などのプロの現代アーティストと子どもたちとがワークショップを通じてオリジナルの作品をつくり上げ、発表まで行う取り組みです。
2008年度に始まった事業で、現在は公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京と、NPO法人芸術家と子どもたちが主催しています。

前編では、ワークショップに参加された生徒さんや先生と、アーティストの田村一行さんへのインタビューを通して、こうした活動の価値や体験から得た気づきについてお話を伺いました。

前編記事はこちら↓↓

《後編》アートを通して人と人が出会う、混ざる、関係を超えて共創する。【パフォーマンスキッズ・トーキョー】

後編では、NPO法人芸術家と子どもたちの中西さんに、子どもたちがアートに触れることの重要性やPKTの意義について伺います。

コーディネーター:中西麻友さんインタビュー

改めてパフォーマンスキッズ・トーキョーについて教えてください。

PKTは、アーツカウンシル東京と一緒に進めてきたプロジェクトで、東京都内の小中学校、特別支援学校等へアーティストを派遣して、ワークショップを行う事業です。

都内の全小中学校と特別支援学校、約2000校に募集をかけて、今年は島嶼部も含め、学校は21校で開催します。コロナが落ち着いて学校行事が復活してきた影響か、今年度は60校ぐらいから応募がありました。

学校側からはどういうニーズがあるんでしょうか。

学芸会や運動会などの学校行事で表現活動の発表があるときに、外部の力を借りて取り組みたいという声が多いです。創作ダンスの指導や、 学芸会の演劇づくりなど、コロナ禍で行事がなかった時期の影響かノウハウを持っている経験のある先生が少なくなり、校長先生とかが若い先生に経験して欲しくて手伝ってくれませんかという要望や、 行事に限らず子どもたちにいろんな経験や出会いをして欲しいとか、学校や先生によって応募の理由は様々です。

応募してくれた先生の想いにできるだけ寄り添いたいなと思いつつ、わかりやすい振付のあるダンスがやりたいというリクエストだと、少しPKTとしてはもったいないなと思うこともあります。決まった振付を教えるだけならきっと先生たちだけでもできるので、少しでもそうじゃないことをやってみたいと思ってくれる先生に出会って、その想いに応えていきたいなという思いもあります。

そして、学校ごとにそこでしか起こり得ないことが起こるので、PKTでは面白くて新しい発見が毎回あります。それらを通して今の学校、子どもたちや先生が抱えてる課題などが見えてきて、そこから次はどうしていくかを考えていくことができるので、自分の中でいろんなものに繋がっていく感じがして、すごく面白いなと思います。

既存の評価の在り方を問い直す価値観を育む

実際に新しい発見を通して取り組んでいることはありますか。

PKTに限らず、《芸術家と子どもたち》としては、例えば学校以外にも、事情があって親元から離れて暮らす子どもたちなどがいる児童養護施設や、児童相談所、小児医療センター、 障害のある子どもたちが暮らしている施設、少年院など、子どもたちのいる多様な場所に行ってワークショップをコーディネートしています。

その中で出会う子どもたちにはいろいろな背景があって、例えば少年院で出会った子どもたちの表現を見ていると、この子たちが少年院にたどり着く前に、もっといろんな体験や、いろんな人や場所との出会いがあれば別の可能性もあったのではないかと思うことがあります。

学校や生活の場で、すぐに結果を出さなければいけないとか、数値で何かができるようになったことを測るような今の評価のシステムでは正当に評価されなかったり、そうやって評価されることによって苦しんでいる人たちがいるということが見えてきて、そこに対してアートでどんなアプローチができるのだろう、と考えています。

もちろん学校以外の選択肢も増えて、今は全員が学校に来る時代ではないかもしれないけれど、 自分からアートや文化に出会う機会をつくることが難しい子どもたちがいる学校に、アーティストと私たちが出向くことで、体験の機会をつくることの意味があるのではないかと思います。

不思議な大人に出会って、よくわからない経験をしたことや、その中で苦労したことや面白かったこと、誰かと一緒に何かすることが楽しかったとか、0から何かをつくって自分にはこういうことができたとか、そういう経験が、彼らのその先の人生の中で、何かの壁にぶつかった時に、ちょっとした乗り越える力とか、何かしらの力になれるかもしれないって思います。そう考えると、今私たちの活動場所は多岐にわたって広がっていますが、やっぱり学校で子どもたちに出会うことも変わらず大事だよねということが、自分の中で巡り巡っている感じがします。

数字で評価しちゃうと、そこに入れない子がどうしてもいるということですよね。

人にはいろんなペースがあるし、その日その日の気分も違うし、決まった基準だけでみんなが評価されると取りこぼされる子たちがいるのではないかと思います。児童養護施設にいる子どもたちの背景を聞くと、そういうことで苦しんできた親御さんの子どもたちだったりもするんですよね。そういう苦しみや生きづらさが連鎖するんだなと思います。評価のシステムや価値観を、抜本的に、いきなりパッと変えることは難しいけれど、こうした活動をコツコツやっていくことで、いろいろな考え方や価値観があってもいいんじゃないかということが伝わっていくといいなと思います。

いろんな評価のやり方とかいろんな価値観で、人を見ることとか、世界を見ることをのんびりやって、それが結局何にもなってなくてもいいよね、ぐらいのおおらかさが世の中にあるといいなと思うし、何にもなってないように見えるけど、まあ悪いことはなかったよねとか、一緒に笑ったりしたよねとか、それぐらいでもいいじゃないかという思いもあります。もちろん成果とか結果も大事なんですけどね。

小学校や中学校の時は与えられたものでしか経験の閾値を出ないので、学校という場で新しい経験ができる機会を提供してくれるのは意義があることだと思います。

子どもたちが活動の最後に書いてくれるお手紙には、「初めて自分たちで考えた」とか、一回決まったことでも自由に変えてもいい、アーティストがこっちの方が面白いからって一回決まったことをどんどんつくり変えていく姿を見て、そういう臨機応変さがあってもいいんだって気づいたって書いてあることがあります。そういうことは普段の授業でも起こり得るはずなんだけど、教えなきゃいけないこととか、学ばなきゃいけないことが詰まってる現状だと、子どもたちも先生も、時間をかけてそれをゆっくり経験できないんだろうなと思いますし、 座学とは違う体験だからこそ得るものがあったりするのかなとも思いますね。

最近はアクティブラーニングのように、子どもたちが自発的に自分で考えることが求められていますが、 自由って難しいし、教えるのも難しくて、 先生たちもやらせたいけど、やり方がわからないし不安になったりすることもあると思います。そうしたときにアーティストと一緒に活動して、先生たちがこういうやり方もあるんだなって気づくと、その後の学校生活にも、子どもたちや先生たちにも影響が残っていくといいなと思っています。

関係性を超えた立場で互いを認め、価値観を内面化していく

芸術を鑑賞する機会はあっても、つくる側に回ることやパフォーマンスをする機会ってあまりないのかなと思いました。

学校は先生と子どもたちが、どうしても教える側と教えられる側の関係になっちゃうんですけど、そうなると、結果を出さなきゃいけなかったり、やったことに対して評価をつけなきゃいけなかったりになってしまう。もちろん今回のワークショップも授業の中で実施しているので、ある種の評価みたいなことが存在するのかもしれないですけど、良いか悪いかじゃなくて、決まった正解はないし、間違いもない、その子が持ってるものが良いっていうのが基本だと思うんです。

一方的な関係性ではなくて人間同士がフラットになるってすごく難しくて、どうしても何かと何かっていう立場ができてしまうんですが、アートや表現活動の場だと、それが限りなくフラットに近い状況になれる瞬間があるのかもしれないなと思っています。もちろん、田村さんが振付師で、子どもたちが振付を覚えるっていう関係性になる時もありますが、逆に、子どもたちのアイデアを田村さんが振付に活かすみたいなことの中で関係性がゆらいで、そのことがフラットになることの一つの形かもしれない、アーティストはそういう場がつくれる存在なのかなと思います。

今回の取り組みを通して生徒さん全員が舞踏を好きになる必要はないし、やっぱり自分はこれは嫌いってことが分かるだけでも大事だと思っています。ただ、嫌いと思ったことでもそれを闇雲に拒絶するのではなく、世の中には自分が嫌いなことも存在するし、それが好きな他者がいるってことに対しても、まあいいよねみたいな感覚を持って、緩やかな認め合いにつながると、もう少しみんなが生きやすい世の中になるのではないかな、と思います。

でもその感覚を、言葉で説明したり、ロールプレイングみたいなことをして授業で教えたりするのは難しいのではないかと思います。PKTのような活動で、外から人が入ってくることによって、普段の学校の価値観みたいなことがちょっとゆらいで、人と人の関係性とか、価値観の共存の仕方とかを、頭や言葉で考えるのではなくて、体感として、感覚としてつかむ経験ができることがいいのかなと思います。

文字で考えるよりかは、体験として学んでいくことで大切なことが内面化されて、実感として伝わってくるっていうことがありますよね。

私もですが、思ってることを100パーセント言葉で正確に表現するって、大人にも難しいし、 感じてることと考えてることを、言葉に直結させるだけでもハードルが高い人がいると思います。それを、絵を描くことだったり、楽器の音を鳴らすことだったり、身体を動かすことだったり、別の出し方でも伝えられることがあるし、受け止められることがあることを知ってもらうことが、体感や実感を伴わないコミュニケーションが携帯電話の中だけでも全部済んじゃうような時代にこそ、大事なのかなって思ったりしますね。

対話から互いの価値観を知り、学びあう

今まで活動されてきてうまくいかなかったことやアプローチしていくのが難しかった経験はありますか。

先生が、アーティストの作品のつくり方を理解できなかったり、振付がないダンスの良さがわからなくて不安になったりすることはありますね。先生のなかにも、自分はあまりよくわかってないけれど子どもたちが楽しそうだから大丈夫かなって思える人もいれば、どうしても良さがわからないと葛藤される方もいます。先生も子どもたちのことを一生懸命考えて真面目に取り組んでくださるので、アーティストの伝え方だと子どもたちがわからないんじゃないかと思って、先回りして正解を先生が知っておきたいとか、どうなるかを把握しておきたいと思われるのだろうし、その気持ちもわかります。

PKTはもう20年近く実施していますけれど、最近はそういう先生が増えているかもしれません。ワークショップの割と早い段階で、「ところでこれはどうなっていくんですか」みたいなことを、子どもたちにはできないんじゃないかと心配になって先生が相談してくることがあります。ワークショップ中でも、子どもたちがわからないんじゃないかと思った先生が指示を出し始めて、アーティストが「子どもたちはできるから」と、先生に指示を出さずに待ってもらうようにお願いしたこともありました。

実際に、子どもたちはできるんです。その瞬間できてなくても、ちょっと待ってればできるようになるだろうと、アーティストなりの考えがあって進めています。子どもたちが、ほんとにできなかったら、それはやっぱりアーティストのやり方が良くないから、違うナビゲートの仕方をしようと変更したり調整したりしながら進めていくんですが、そのスピード感とか、待つ待たないの感覚とかが多分学校とアーティストでは違うんですよね。

先生の価値観とアーティストの価値観が、ある意味逆の方向を向いているようなものなので、そこをどうすり合わせていくかっていうのは、難しい時もあります。でもそれで当然だと思うんですよね。学校の先生とアーティストの価値観が違うから、一緒に取り組む過程で、先生がわからないことや不安をちゃんと伝えてくれて、それに対してアーティストが手を尽くして自分の想いや考えを伝えようとすることもすごく意味があることだなと思います。

アーティストの言葉がなかなかうまく通じないこともあるけれど、価値観の違う人同士が一緒に対話するってことがすごい大事だなと思うので、対話の場所はちゃんとつくりたいなと思います。外から来てくれてるからと、先生たちが遠慮しちゃって、言い出しづらいなと思って、言えないままになっちゃってたら申し訳ないですし、わからないならわからないって言ってほしいなっていうのは思っています。

とりあえず話してみても通じ合わないこともあるけど、そうした対話が生まれるのもPKTの良さだと思います。1回のワークショップだと、先生もその日楽しければいいで終わってしまいますが、 10回とか授業時間をかけるとなると、この先どうなるんだろうかとか、何にもならないと困るから先生も自分ごととしてあれこれ考えるという側面があると思います。その中で山あり谷ありで、子どもたちだけじゃなく、先生もアーティストも、私たちもいろんな経験をしているのはすごく大事なことだなと思います。

先生にとっても学びの場になっているんですね。

10回終わってやっと、「こういうことだったんだ」というような感想をもらうこともあります。おそらく普段の学校の運動会だと、振付や移動など最初から全部やることが決まっていて、それを子どもたちに間違えないようにと伝えていくじゃないですか。でも、特にワークショップの1回目とか2回目は、子どもたちとアーティストがお互い知らない者同士だから、直接作品には直結しないように見える身体ほぐしだったりをやって、抽象的な内容だったりもするんですよ。

だから、全部終わってはじめて1回目と2回目にやってたことは、こういう風に繋がるんだみたいなのがようやくわかりました、と先生が言うこともあります。先生が授業中にワークショップにどう関わっていいかわからないこともあると思います。自分も授業の場にいるけど、進行していくのはアーティストで、子どもにどこまで声をかけていいのかとか、一緒に参加していいのかとか、戸惑いがあったけど、10回やってなんとなくわかったから、次があればもっと自分たちも最初から関わりたいし、やりたいって言ってくださることもありますね。

「対話の場」というのが素敵だなと思いました。お互いの価値観を学んで自分自身の創作とか、自分自身の教育に役立てているんだなというのをとても感じます。

特別支援学級のワークショップで子どもが立ち止まってしまった時に、背中を押していい時と、そっとしておいた方がいい時とか、加減が一人ひとり違うから、そういうことは先生の方がよく知っているけど、先生たちは専門的なことが分かってる分、これは難しいだろうとやる前に決めしまうこともあって、 専門的な知識がない私たちだからやってみようとすることとかもあるんです。

障害のある子たちや発達に課題がある子たちとの関わり方について、専門知識があるわけじゃないから、間違った方向に行っちゃうと、子どもたちの安心や安全が脅かされることにもつながりかねないので、先生の持ってる力やサポートが必要なことはもちろんあるし、相談しながらお互いのいいところを出し合えるような関係になっていくといいなと思います。

学生に向けて

学生が関われる、活動に貢献できることがあるとしたらどういうことができますか。

ボランティアスタッフはいつも募集していて、《芸術家と子どもたち》のwebサイトからボランティア登録もできます。記録のお手伝いや、発表があるときはちょっと仕込みもしてもらったりとか、ホールでやっている事業では学校の先生がいないなかで、子どもたちのケアも必要なので、ワークショップに一緒に参加してもらうこともあります。

なかなか広く広報がしづらい場所でのワークショップもありますが、私たちも特別支援学級や児童養護施設がどういう場所なのかを、 SNSの情報とか誰かが書いた言葉だけで知るよりかは、やっぱり自分でその場所に行って感じることってすごい大きいと思うので、そういうことを直接感じてほしいです。

私たちの事業が良いとか悪いとか、それはその人が考えてくれればいいと思うんですけど、実際に見て、こういうことをしていることにどういう意味があるんだろうかとか、 もっとこういう場所に行った方がいいんじゃないかとか、次に繋がることとかも一緒に考えたりとか、感じ取ってもらいたいなと思います。

私たちもSNSとかもしてるんですけど、結局、こうして実際の場に来てもらってお一人お一人と会って、感じてもらって、こうやってお話ししてっていうことの方が、伝え方とか広報のやり方としてはものすごく効率が悪いんだけど、確かなことがある気がします。

中西 麻友(なかにし まゆ)
成安造形大学デザイン科写真クラス卒業。2006~2008年大阪市内の小学校に教諭として勤務。その後1年半のイギリス留学を経て、2011年3月より「NPO法人芸術家と子どもたち」に勤務。ワークショップ・コーディネーターとして、学校(特別支援学級含む)や幼稚園、保育園、児童養護施設、障害児入所施設等、学校教育や児童福祉分野のほか、小児医療センターや地域の子どもたちの居場所に関わる事業を担当。

編集後記

2月28日に中学校でのワークショップの発表会に参加させていただきました。顔を白塗りし、着物を着て踊る生徒さんの姿はとても迫力があり、思わず息を呑む場面もありました。

生徒さんからは、「今までにしたことのない身体の動きがあって新鮮だった」、「みんなで輪になって踊ったところが楽しかった」といった感想が聞かれ、楽しみながらワークショップに取り組んできた様子が感じられました。

アートを中心に多様な人が出会い、対話を通してお互いの理解を深めたり価値観を変化させたりしながら、一つの作品を共につくり上げていく。それは小さな共生社会の実現とも言えるのではないでしょうか。

そうした輪を様々な場所に展開していくパフォーマンスキッズ・トーキョーが、これからどんな子どもたちと出会っていくのか、そこからどんな関係や反応が生まれるのか楽しみです。


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